哲学のこと考えるとすごい気まずくてヤダナー。気まずいassociationが多すぎだなあ。院生が学部生と同じクラスを取ってるのがなんか気まずい。私が勝手に気まずいと思ってるだけだけど。そういえば、このあいだのペーパーの先生のコメントの中に、君は 哲学専攻に なるべき。って書いてあったの! 下線付きで。すっごく嬉しかったよ。ていうか、先生は私は哲学専攻じゃないだろうと思ってるのね・・。私は哲学専攻らしく見えないのかな。見かけとやってることにギャップがある人が好きだから、いいけど。でもさ、いかにも哲学専攻、ていう見かけなんて無いかな。いかにも数学専攻とかいかにも演劇専攻とかはあるけど。いかにも哲学教授、っていう見かけはすっごいあるね。顔が白いひげで囲まれてて超カッコイイの。哲学の学生って、オタク(悪い意味で)な人が多いんだろうなと想像してたけど、実際全然そうじゃないね。オタクな人とかキモイ人もそりゃいるけど、だいたいはもっと自由奔放な感じ。それを思うと、オタクって、ドグマティックな人のことのような気がする。ネガティブな狭い意味で使われる場合は。英語だとナードだろうけど、ナードはもっと幅広いんだよね。運動が好きじゃない人の総称って感じ。だから、すごいオシャレで映画とかアートとか音楽に超はまってる人もナードって呼ばれたり(自分で誇らしく呼んだり)。ジムに通って筋肉もりもりにしてるような人と敵対してるようなのがナードなんだよね。日本には筋肉もりもりの人なんてほとんどいないから、それがオタクかオタクではないかっていう基準にはならないんだけど。あーでもやっぱナードもすごい悪いconnotationがあるね。文脈によるけど。まーどうでもいいやこんなことは。話し戻るけど、不真面目そうな人が哲学に没頭してるのステキ。特にすごいアブストラクトなのとか。実践的なのじゃなくて。川端康成の雪国の島村が西洋舞踏を研究してるような感じ。ホントにいるんだよなぁ、そういうdetachedな人達。危なげな感じがいいなあ。ところで雪国、最近ふと改めて読んでみてびっくり、美しくて。目の前に景色が見えるような。最初と最後の文がスゴイ。日本語はいいなぁ。見た目も美しいのに、それに意味までついてるなんて。あぁ日本語を読む能力があってよかった。