2ヶ月程前に書き留めたこと

全然アカデミックじゃないまるっきりの独り言だけど、なんとなく載せてみる。ギリシャ哲学の試験の直後に書いたものです

プラトンは、哲学者じゃない人が自分は幸せだと思っていたってホントは幸せでは無い、って言うけど。自分が幸せだと思わない限り、誰がなんと言おうと自分は幸せじゃないよね。ていうか、不幸の定義は簡単だけど幸せは難しい気がする。不幸は、虐待されてるとか、ハッキリしてるよね、他人の目から見ても。でも幸せは、お金持ちでも有名でも美人でも別にその人が超不幸、って思ってたら不幸だし。誰の目から見ても幸せな人なんているのかな? 誰の目から見ても不幸、って人は見分けがつくけど。(それでもその人が幸せと思えば幸せ。)自分が幸せだと思っていたのにあとでだまされていたと気付いて本当は幸せじゃなかった、っていうのはあるね。でもそれも自分が後で気付かなきゃだめだから。他人じゃないから。だから自分の幸せは自分が決めるんだよね。こんなにちゃんと書き留める程のことじゃないかな? だってabsoluteなものなんて無いってずっと前(って言っても2年前くらいか)から信じてるからね。absolute good absolute happiness absolute beauty そんなものは無いね。でもやっぱそういう確かなものが無いと生きていく上で大変な気がする。いつから自分は子どもじゃないと感じだしたのかなあ。なんか理想が全部崩れ去ったってカンジ。ていうか理想高すぎんだよね。というかthings as they are を受け入れられないってゆーかさ。ちょっと嫌だと思うところがあるともう幻滅。他人に期待しすぎなんだな〜。子どもの頃はのんきに完璧な人やものの存在を信じてたけどもう希望無しだもんね。当たり前なんだけど納得行かないってゆうか。誰のことも信用できないし頼れないし。。。だから宗教あるんだろーねー。完璧なものを求める心なんだろーなー。でも私はそんなものも信用しないし。(注:仏教は好き。)まあ自分のことはかなり信用してんのかも。しすぎっていうか。思い込み激しいていうか。やっぱりずっと自分しか存在しないていうことを否定できないな。だって自分のことしかわかんないじゃん。マー自分のことすらわかんないていうのもあるけどさ。なんか哲学てすごい精神強い人じゃないとやってけなそう。私なんかすぐ哲学を日常生活に当てはめちゃうから大変だよ。哲学好きだけど、自分の精神の安定のほうが重要だからさあ〜〜。

これだけじゃあまりにアホっぽいので哲学用語で置き換えてみると・・・
私は、プラトンのような絶対主義には反する立場を取る相対主義者である。無神論、唯我論的傾向を帯びる不可知論者でもある。(ついでにいうと懐疑主義っぽいとこもある。)
ハハハ、これのほうがもっとアホっぽいか・・。