いやーー、今のところ、道徳形而上学原論のセクション1までについてを書けばいいだけなんだ。去年、純粋理性批判をちょこっと読んだんだけど(causalityについて)、“原論”のほうが読みやすい気がするね、っていうか薄っぺらいから気分的に良いのかも。薄っぺらい本というのは好感度大だね。でも道徳形而上学原論という日本語訳は堅すぎない? 英語だと、Grounding for the Metaphysics Of Moralsだよ。Groundingっていうと、基礎固め、って訳したほうが意味がわかると思うなあ。原論って何よ?って感じじゃん。道徳の形而上学のための基礎固め、とかそんな感じに言えばいいのに。でもそれじゃ格好がつかないね。哲学の日本語訳は変なのが多い気がするね。形相と質料とか。英語訳だとformとmatter、っていう日常生活で普通に使う言葉になってるからわかりやすいのに。形相と質料なんて、わけわからん言葉だなぁーホントに。日本語の翻訳者はカッコつけたがりなのかな。

“原論”のセクション1については、なんとなく流れがわかった。1. good willがたったひとつのホンモノのgoodであって、すべてを評価する上でのコンディションとなるものである。他に良いと世間で思われている性質(賢さ、権力、名誉、健康など)はgood willがなければ悪いものになってしまったりするから、good willのほうがhigher good。2.うちら人間は理性を持っているんだけど、理性はうちらを幸せにはしてくれない。理性なんか忘れて動物のように生きていた方が幸せだから。理性の目的は幸せではなくてgood willである。(なんでここでイキナリ、理性→good will と展開するのかが謎、とうちの先生が言っていた)3.うちらの理性によると、Universal lawになってほしいと思えることしかやっちゃいけない。(なぜ理性がそう考えるのかはカントも知らないらしい)
この他にも、good willは常にそれ自体がendでありmeansにはなってはいけない、とか、同じ結果になっても意志によってMoralかMoralではないか、の違いが出る、とか、言っているね。つまり悪い結果になったとしてもgood willがあったのなら、moralなんだ。結果しか気にしないUtilitarianとは正反対だねぇ

ところでこのあいだのスマートのペーパーはAだったんだ。ほっとしたわ。でも先生からのコメントは批判だらけだった。誉めてくれたのは題名だけ。先生、スマートが言う“悪い快楽”(他人を傷つける行為が介入する快楽)と“低レベルの快楽”(ミルと同じ考え)っていうのを同じだと思ってるんだよ。私は違うと思うんだけどなあ。低レベルの快楽は一応幸せのうちに入るけど、悪い快楽は幸せじゃないじゃん、スマートにとっては。