中国哲学のクラス取ってすっごく後悔してたけど最近はもう半分終わったしあきらめがついてきた。まぁ、西洋哲学と東洋哲学の違いが分かって良かった。ていうか全然違いすぎるから中国哲学は哲学って呼ばないで欲しい・・超迷惑。古代の中国哲学って、古代ギリシャ哲学と同じようなものかなーって勘違い(甚だしい)してクラス取っちゃったじゃん。ぷんぷん。哲学じゃなくてただの思想だよ、あれは〜。だってロジカルな根拠が無いからさ。孔子とか孟子とかーー。中学や高校の国語の授業を思い出してすごく嫌なんですけど。けどやっぱ孔子の思想ってほんと日本に根づいてるんだなーって再確認した。アメリカ人から見ればエキゾチックなのかも????しれないけど、私から見ると、ただの独断的なお説教って感じでイヤン、って思った。けどインターネットで探してみれば論語とかの日本語の現代語訳を載せているサイトって結構あるんだね。そんでいろいろ読んでるうちに、孔子って、実際は、うちらのイメージにある厳格な人ってよりも、結構楽しい人だったのかも?と思い始めた。音楽とか好きだったし、なんかイノセントな人かも。好感度アップ。それと、孟子が、“動物が殺される時の悲鳴を聞いた者は肉を食べられないのだ”とか言ってるから、勘違いしたベジタリアンが、孟子ベジタリアンだった、とウェブサイトに書いてるの。でも、孟子はその文のあとに、“だから賢者は台所に近寄らないのだ”と言ってるんだよ。はははーー責任転嫁。ウケル。その他にも、焼肉とかひき肉がおいしいとか言っているし、孟子は確実にベジタリアンでは無かったね。その勘違いしたベジタリアンみたいにout of contextで勝手に他人の立場を解釈する人って多いんだよねーー、ヤダネ。それに、そういう早とちりな人達って、“有名な人がそう言ったから”、っていうだけで立派なargumentになると思っちゃってるからどうしようもない。虎の威を借る狐みたいな。

あと、ちょっと思ったんだけど、孟子ってカントみたい。だって孟子って性善説だし、万物は人間ひとりひとりの中にもある?みたいなこと言って、Humanity、Ritual、Duty、Wisdomのそれぞれ4つを作り出す種はもともと1人1人の心の中にある、って言ったじゃん。だから、自分の周りではなくて、自分の心の中をのぞけば道徳を必ず見つけられる、って言ったんだよね。それって、カントの、“天上の星と我が内なる道徳律〜”とかいうのと似てない? カントは、もちろん孟子よりもずーーーと回りくどい理論を経ていて、結論もすごく複雑だけど、基本的な信条は同じっぽいなぁと思った。孟子は自由についてとかは考えてない気がするけどね・・。それと、孟子って、人の心と社会の仕組みは平行しているみたいなこと言ったぽい(言ってないかも?)からプラトンぽいかも、とも思った。これはこじつけすぎかな? 孟子よりは孔子のほうがいい人そう。孟子って、ただ口が達者で、他人を言葉巧みに丸め込む、っていう風に私には見えた。孔子は、口達者な人が嫌いだったからね〜。

それにしても、今日初めて気付いたけど、中国語や日本語ではmindとheartの区別が無いね。どっちも“心”なんだなぁーー。