オウム真理教が気になってしかたないなあ。ものすごく怖いんだけど、怖いものみたさ、っていうか。LSDに対する気持ちと同じかも。オウムのことを初めて知った時から(地下鉄サリンの時に知った)、オウムに対して漠然とした恐怖を感じていたけど、今はっきりなんで怖いのかわかった。自分が彼らの無差別殺人の被害者になるかもしれないから怖いんじゃなくて、自分が彼らの一員になってしまうかもしれないと思うから怖い。自分のすべてを変えてしまうような影響力を持っているんじゃないか、と思ってしまって恐ろしい。怖くて昨日は夜中に起きちゃったもん。もちろん、オウムっていう特定の宗教団体だけじゃなくて、似たようなものに今後遭遇して感化されてしまうんじゃないか、っていう恐怖。政治思想でもなんでも。だって、私は、絶対にこれだけはしない!とか決めてることって別に無いし・・。そりゃぁ、殺人とかは絶対にしない、と思ってるけどさ、その考えをくつがえす思想に感化されちゃう可能性が無いとは、言えないよ。やっぱ正確に言うとLSDよりもずっと怖い。で、この恐怖っていうのは、オウム信者がオウムに入る前に抱いていた恐怖と同じなのかもしれない。自分はどうなってしまうかわからない、っていう恐怖を、確固とした信条を持つことによって解消しようとしたんじゃないかなぁ。その結果が、狂気。あぁ、恐ろしい。

昨日、オウム信者は真面目で頭の良い人達、って書いたけど、頭の良いっていう言葉はちょっといろんな解釈がありすぎだね。オウム信者は、中途半端に頭が良いって感じかなあ。ここで言う“真面目”は、真面目になることしかできない、つまり不器用ってことね。世渡りがホントに下手な人達。そういう意味では頭が悪い。客観的に自分を見れない、ってところも頭が悪い。こういう人達って、自己内省的って呼ぶのがぴったりだね。“まじめで責任感が強い。自分の弱点や欠点を過大視。劣等感を抱く。観念的理想主義。”あぁ、思い当たる節が多すぎる。私は責任感は強くないから、その弱みは無いかな。自分の欠点を過大視っていうのは、つまりは、プライドが高いってことだよね。“自分がこんな欠点を持ってるなんてありえない、自分はもっと素晴らしいはずなのに”っていう傲慢さから来ると思う。

「たいてい、全てを知性で切り捨てようとする人は、ものすごく恐怖心が強いのものだ。感情というものはダイナミックなパワーを持つぶん、非常に不安定で取り扱いが難しいものだ。そんな当てにならないも感情を使うよりも、論理や知性の方が信頼できると、知的な人はつい感情を敵視する。」(注:ここでいう“知的”は誉め言葉じゃない・いい意味じゃない)
ってオウム脱会者の会のページに書いてあった。納得。