最近気付いたけど、アリストテレスの倫理は孟子のようだね。アリストテレスは、善を生まれながらに持ってるとは言ってないけど、善への傾向みたいのは持って生まれてくる、と言ったらしいから。孟子も、性善説、って言われてるけど、実際は、“善になる可能性”を持って生まれてきて、あとは環境に左右されて人は良くなったり悪くなったりする、って言ったから。ふーん、そうかもねー、ってあんま深く考えてなかったけど、ウィリアムズがこれを批判しててちょっと感心した。もともと、善を目指すような魂みたいのを持ってるなら、なぜ環境に影響されるのか? それと。環境に影響されて悪人になったあと、なぜ良い人になることがその悪人にとって良いことだと言えるのか。もちろん、社会や、悪人本人以外にとっては、悪人が善人になることは望ましいけど(社会が平和になるから)。アリストテレス孟子も両方、善人になることは、その人本人に利益があることだ、と言ったぽいから。その辺が不明。なんか、現在の傾向では、古代の哲学はすべての基本だから学ぶけど、あんま頑張って批判とかしない、って感じがするんだけど、古代の哲学を真剣に批判するのはかなり有益な気がする。古代の哲学って、奴隷の話とか出てくるからあんま現代と関係無いような気がしちゃうけど、それは罠だよね。実際は、古代の人が言ってたことって影響力強すぎて、現在は常識みたいになってしまったから、気付きもしない。そういう常識を批判する、なんて考え付きもしない。うちの中国哲学は、宗教家(仏教)の先生がやっているからだろうけど(はっ、こんなこと言ったら偏見かぁー。宗教家でも立派な哲学者はいるし・・。ていうか実際、哲学ってちょっと前までは宗教じみてたよね)、あんま批判的じゃないんだよね〜。充分批判的だと思ってるっぽいけどさ、彼自身は。ブッシュは馬鹿だ、とか言ってれば批判的なんだと思ってるからねぇ・・・ああいう人達は・・。(もちろん私もブッシュは馬鹿だと思うけど。念のため。でももう聞き飽きた。)孟子のこと勉強した時も、“あなたたちは、人間はもともと善だと思いますかー? 悪だと思いますかー? ”とか言って、小学校みたい。もっと、性善説が本当ならそれは何を意味するのか、とか、その論理に矛盾は無いのか、とか考えるのが哲学だろう、って思うんだけど。しかしこういう考え方は古代ギリシャ人に影響されているんだろうな・・。逃げられない!