ねえねえ、論文っていうと、すごく長いのかな(30ページとか、thesisレベルのものになっちゃうのかな)? レポートっていうべきなの? 学部のクラス程度で書かされるものは。ペーパーって言ったら通じないかと思って適当に論文って訳してたんだけど、違うのかな。こっちでは日本人同士でもペーパーって言ってるから日本語にすると何て言えばいいのかわからなかったよ。レポートって言うのはすっごく抵抗あるしなぁ。。。日本語では文系でもレポートって言うらしいけど。こっちでは理科の実験のレポート以外をレポートって呼ぶことは無いんじゃないかなあ。文系のクラスで書いたものはペーパーって呼ぶからね・・。論文って言ってるからすごいの書いてるんだろうと思ってる人がいたらゴメンなさい。私が書いてるのなんかせいぜい5ページ〜10ページくらいのものですよ。日本の大学のこと何も知らないから大学でしか使わない専門用語みたいなのがわからない。ついでにいうと理系と文系の分け方も結構あやふや・・。ところでこのあいだのスマートのペーパー出したけど心配。もっと頑張る余地はあったのにね・・・。これで成績悪かったら今後のバネとなるであろう・・

スマートっていう人の功利主義(ユティリタリアニズム)についての本も読んだ。本っていうか論文程度の長さだけど。これ、薄っぺらな本なのに22ドルもするんだよ。高すぎ! ミルに比べたらスマートの文章はすっごく読みやすい!! ほっ、よかった。今回の論文は、ミルじゃなくてスマートについて書いてもいいんだ。前回奴隷制度って書いたけど、細かく言うと、サディストの集団がひとりの無実な人を痛めつけて殺して楽しむことを功利主義は批判できるのか、っていう問題。多くの人の幸せのために小人数が犠牲になってもいいのか、っていう問題だよね。スマートもこれについて言及してる。でも、ちょっと違うバージョン。まったく無実の人をひとり殺せば他の多くの人が助かる、っていう場合。スマートは、いやいやながらも、この場合には無実の人を殺すのが功利主義に基づく行動だ、って言っている。ホントにかなり、認めるの嫌そうで、何回も、このような状況が現実に起こるとは思えないが、とか、起こらないで欲しいと願うしかない、とか、言い訳がましく言っている。この場合の殺人は、必要悪だよね。でも、サディストの例の場合は、ちょっと状況違う。だって必要悪じゃないもん。サディストが殺人をしなかったら、サディストが楽しくない、っていうだけで他に何か悪いことが起きるわけでもない。サディストがその結果怒って暴動を起こしてもっと多くの人を傷つける、とか・・・有り得るけどあんま現実味無いしね。サディストが我慢すればいいだけの話。スマートが28ページで紹介しているネガティブ ユティリタリアニズム(最大幸福ではなくて、できる限り“痛み”を取り除くのが使命)を適用すれば、サディストは殺人をしないべき、っていう結論になるね。でもスマートはネガティブ ユティリタリアニズムを批判しちゃってるからなぁ。なんでも、ネガティブ〜 は、全人類の破滅をサポートしてしまうらしい。なんで??? 理由は、スマートの弟(兄?)が他のところに書いたらしい。えぇー、ちょっと説明してくれよ〜。私はネガティブ功利主義(否定的功利主義とか消極的功利主義って言えばいいのかな?)は良いと思うなー。だって、幸せの定義にみんなが合意するのが難しいけど、痛みとかSufferingはだいたいみんな同じような意見を持ってると思うし。幸せの定義っていうのもこのサディストの例を考える上で重要だよね。だってサディストからしてみれば人を拷問にかけるのは幸せかもしんないけど他の人から見たら幸せじゃないし。それなら、サディストの行為は人の幸福のうちに入らないから功利主義者でも批判することができる。人が幸せだと信じていることを他の人が、あんた、それは実は幸せじゃないんだよ、って否定する権利ってあるのかなー?? (プラトンは、ある、と言う。)ミルは、結構この点について書いているね。ミルによると下級な幸せと上級な幸せがあるから、サディストの幸せはミルによれば下級な幸せだろうね。下級どころか、幸せのうちに入らないかも? 快楽と幸せは違うとか言ってたような気がするから・・・(うろ覚え)。だからミルはサディストの殺人を非難することができるね。でもスマートはどうなのかな? ミルについて書くかスマートについて書くか、決められない〜。

このあいだ、満足な豚と不満足なソクラテスについて書いたけどちょっと間違ってた。私は、満足な豚は幸せなのかと思い込んじゃったけど、幸せじゃないんだって。不満足なソクラテスのほうが幸せなんだって。スマートが説明してくれたからよくわかった。満足と幸せは別なのねーー、ミルにとっては。なるほど、なるほど。

倫理って、形而上学と全然違うね。って当たり前だけど。同じ哲学なのにさ。考え方をガラリと変えないといけないね。だって形而上学っぽく考えてたら、殺人は正しいことか、とか考える前に、他人って結局存在するの? とかこの世の中って結局夢なんじゃないの? とか言い出してどーしよーもなくなっちゃうからね。その辺は常識に任せないと。倫理って結局道徳でしょ? って思ってて、道徳は嫌いだから倫理も勉強したくなーい。って思ってたけど、実際勉強しはじめるとなかなか面白いものだね。エピステモロジー(認識論)も、敬遠してたけどちょっと勉強してみたくなった、けどクラスを取る機会がもう無さそう。あーあ。中国の哲学なんて取らないで認識論を取ればよかったのに。難しそうでこわーい、から取らなかった。はーあ、駄目な人だ。

ハッ、倫理と倫理学って違うんだね・・(無知ですみません)倫理学はメタ倫理って感じかな? 更にはメタ倫理学っていうのもあるけど。倫理っていうのは高校のクラスだもんね。私の高校には倫理の授業無かったけど。倫理のクラスって歴史のクラスみたいな感じだよね? そうすると倫理学とはまた別なんだなぁ。

今学期は情熱を持って取り組むようなクラスが無いからなんか寂しい。夏学期はポルノ問題についてちょーー真剣でめちゃくちゃ大変だったものの、すごい充実していたんだなぁ。まあ、あとになってから言えることだけど。そう考えると、私は哲学よりも社会学のほうが真剣になれるのかもしれない。哲学は面白いけど、あんまり自分が住んでる現実に直接影響を及ぼしたりしないからね。ポルノ問題を調べている時に Wendy McElroyっていう人を知った。その人はフェミニストアナーキストなんだけど、普通のフェミニストアナーキストと違っててすごい感心した。フェミニズムは男嫌い、アナーキズムは単なるパンクなだけの浅はかな人達(しかも暴力的)、っていうイメージがあるけど、そうじゃない種類もあるのねーー。私はこの人の影響でかなりアナーキストになった。完璧なアナーキズムは実践するのが難しいていうかたぶん不可能だと思うけど、不必要な法律を減らしていくことは充分可能だよね。すべての検閲や、売春とか酒・煙草・ドラッグの法的制限を無くすべきと思う。アメリカでは、政治的見解はまっぷたつに、リベラル(民主党派)か、コンサーバティブか(共和党派)に分かれているのね。私はもちろんどっちかって言ったらリベラルが好きだけど、どっちにも違和感があったの。そこで見つけた真面目なアナーキスト。そっかー、そういう立場もあったのね、って目からウロコが落ちたようだったよ。カッコイイ・・・

来週提出の論文の課題が今日出ました。超心配・・・ 本読むのなんかずっとさぼってたから全然わかってない。ジョン スチュワート ミル の功利主義奴隷制度を批判できるのか、それとも奴隷制度を推奨しているのか、を書けばいいんだけど、どうなのさ。奴隷制度、いいのかな? あーーわかんない。ミルはもちろん大きな声で奴隷制度を推奨してはいないと思うけど、否定はできない立場なのかもしれない。死刑制度は推奨してるから奴隷もいいのかな・・ わからない・・ こまったな・・

ところでうちの先生は奴隷制度はあきらかにWrongだと思っている。理由なんかいらない、って。そうなのかぁ。決め付けちゃってもいいのか・・・哲学なのに。哲学にもいろんなレベルがあるんだなあ。プラトンとか大昔の哲学を真剣に勉強していたら奴隷制度は正しいことか、正しくないことか、っていうのを真剣に考える必要があると思うけど、現代のことを考える上では奴隷なんて言語両断、って決め付けてよいらしい・・

それにしてもミルは、動物をけなしているね。人間は動物よりも賢くて尊い、とか言ってる。常識っぽい考え方だけど、動物の権利について学んだ後だから、ミルは動物を見下してる〜、と思っちゃう。ミルとしては別に動物を虐待したいわけでは無くて、人間は素晴らしい存在だ、ってことを主張するために人間と動物と比較しているだけなんだろうけど。満足な豚よりも不満足なソクラテスのほうがいい、っていう文が有名らしい。哲学者らしい言い分だね。プラトンもまったく同じ事を言っていたなー。無知でハッピーな人よりも物知りで賢くてしかし落ち込んでいる人のほうが良いのね? 無知で幸せのほうがいいなあ、私は。たぶん。でも賢くて不幸せな人は他の人から尊敬されるから結局は幸せってことになるんだろうか。ミルを語る上では幸せとは何か、をはっきりさせないといけないから困難。幸せっていったい。

いろいろわかってきた
ピーター シンガー
この人が言いだしっぺ。もっと昔にはベンサムって言う哲学者も動物の権利を主張してたみたいだけど。シンガーの言い分はかなり説得力あると思う。この人はハードコアだからねえ。譲歩ナシ!って感じ。とにかく“痛み”を避けることがいちばん重要。人間の痛みも動物の痛みも同じだから同等に扱うべき。そして、痛みを感じない超障害者な人間は、殺してもいいんだよ。その人の死によって苦しむ人(肉親とか)がいなくて、その人の死によって他の人や動物の負担が減るなら。スパっとしててカッコイイ意見だよね。でも、もちろん、障害者の人達は激怒してるんだけど。でもシンガーはそんな激怒できるような程度の障害者のことを言ってるんじゃないんだよ。もう永久に回復不可能で何も感じられないような人とか、生まれて間も無いすごい障害のある赤ちゃんのことを言ってるんだよ。それも肉親が同意すれば、の話。つまり安楽死だよね。安楽死は別にいいよねえ。自分は責任取りたくないけどさあ。
トム リーガン
この人はシンガーと同じ動物の権利を主張してる人なんだけど、シンガーの理論には大反対なんだよ。仲間同士で対立してどうするって感じもするけど、結局は対立するのなんて仲間同士だけなんだよねーー。それは置いといて、リーガンは、“痛み”を権利の基準にするのは間違ってると思ってるんだ。植物人間とかにも権利はあるって思ってるからね。リーガンの主張する権利の基準は、“生きてる”ってことだけ。これならどんなに極悪非道な人でも頭悪い人でも何も感じない人でも権利が与えられるもんね。そんで、リーガンは、個人個人の幸せを優先するべきだ、って言ってる。シンガーは、できるだけ多くの人や動物が幸せになる方法が一番正しいって思ってて、その多くの生き物が幸せになるためには誰か1人を犠牲にしてもいいんだよ。でもリーガンは、それはいけないと思ってるんだよ。まぁ、リーガンの考えは理想だと思うよ。でもさー、現実的に考えて、無理じゃん。弱肉強食の自然をまるっきり変えないといけないじゃん。だからリーガンだって自分の行動は自分の理論にかなったものじゃないんだよ。リーガンから見れば生き物はすべて同じ価値があるんだよ。そんなこと言ってたらうちの猫のノミ退治もできないじゃん。ていうかどうすればノミと猫に平等の幸せを与えられんの? 猫はノミがいたら不幸せだしノミは猫にくっついてないと幸せじゃないし、どうにもならないよね。で、やっぱ、猫の幸せを選ぶじゃん、普通。猫の不愉快さのほうがノミの不愉快さよりも理解できるからだよ。すると、シンガーの“痛み”の考えに戻っちゃうんだよね。リーガン彼自身も、少なくとも哺乳類には権利を持たせるべき、とか言ってるんだよ。彼自身、シンガーと同じ“痛み”を感じるかどうか、っていう基準を使ってるじゃん。または、人間に近い動物、とか、人間に役に立つ動物、とか、そういう基準。リーガンはホント全然一貫性が無いって思う。リーガンは動物が“役に立つかどうか”っていう考えはけしからん、って言ってるんだけどさ、でも、なんで?なんでだめなの?リーガンは理由を全然提示してない気がする。動物がかわいそうだから、っていう理由で動物を助けるのは駄目だ、ってリーガンは思ってるんだよ!! 動物それ自身に価値があるからその権利を貴ぶべきだ、って言ってるの。でもさ、リーガンは動物がかわいそうだって思ってるだけじゃないのー?? それ以外に理由あるなら言ってみてよ、って感じ。なんで動物それ自身に価値があるの? 証拠も理由も無いじゃん。でもリーガンって超たたえられてるの。ネットで探してもぜーんぜんリーガンの哲学を批判するサイトは無いんだよね。リーガンが肉食の人々を脅かしてる、とかいう批判はいっぱいあるけど、リーガンの理論そのものを論理的に批判してる人って超少ないみたい。私にとってはシンガーの冷酷(?)な哲学のほうがリーガンの非現実的な哲学よりも筋が通ってると思うけどねえ。
カール コーヘン
この人は勇敢にも動物の権利は無い、と論理的に証明しようとしてる人。でも全然説得力無い。権利は、道徳を理解できる者だけに与えられるんだ、って言ってる。動物は道徳を理解できないから権利が無いんだって。だから動物を人間用の薬の実験台に使って苦しめても全然いいんだって。人間のほうが価値が高いから。でもさ、障害者とか精神病質者とか、全然道徳を理解できない人はどうなるの? 権利無いの? コーヘンは、そういう人達にも権利はある、と言う。なぜなら、人間だから。はぁ??? 大昔の哲学者みたいなすんごいドグマティズムだよね。もっとさー、説得力ある人いないのかなー?